第六十五回 反ロシアデー

第六十五回 反ロシアデー

皇紀二六七八年八月九日
大日本愛国党 第六五回北方領土返還要求 反ロシアデー(旧反ソデー)

昭和二十年八月九日、日ソ不可侵中立条約を一方的に破棄し、旧ソ連軍は占守島より南下し日本国領土である 南樺太・全千島列島を不法占拠した。

侵攻したソ連軍は日本人の財産を没収し、老人は戦車で轢き殺され、婦女子は凌辱され、幼き子供らを銃殺した。
また捕らえられた兵士は拉致され、シベリアに抑留、過酷な強制労働を強いられた。

当時、幼子を連れていては無事に日本に帰れるか解らないため満州の方々に預かって頂いた。これが後の中国残留孤児となった。

このロシアによる鬼畜の所業に我々は強く抗議し領土返還と謝罪を求める為、赤尾敏総裁がこの日を反ソ連デーと命名し運動を展開した。

これを現在、反ロシアデーとし失地領土恢復のため継承している。

全国から続々と集結する大日本愛国党車両

飯倉片町交差点において車両より連呼

飯倉片町交差点にて異常な過剰警備を展開する当局

そんな過剰警備の中でも訴えるべきものには声を上げる!

本年は10歳の少年も抗議に同行!
彼が成人するまでに南樺太・全千島が返還されることを願う。

たとえどんな過剰警備でも我々は抗議文を読み上げ抗議文を投函する

勇猛果敢な抗議行動を展開した精鋭党員

続いて内閣府に要請行動を展開した

内閣府要望書手交の様子

運動の最後は外務省への要請行動

赤尾敏先生が提唱した反ソ連デーが、国名が変わった現在でも未だに反ロシアデーとして運動を展開しなければならないのは屈辱の極みである!
我ら大日本愛国党は北方領土とは北緯50度以南の南樺太と全千島列島27島及び国後・歯舞・択捉・色丹の4島であると主張しております。