9.29反中共デー参加
皇紀二六七六年九月二九日
我々大日本愛国党総本部は9.29反中共デー東京大会に参加した
9.29反中共デー北海道大会に参加した北海道本部の記事
9.29反中共デー九州大会に参加した九州連合会の記事
反中共デー宣言
「日出ずる處の天使 書を日没する處の天使に致す つつがなきや」
この雄大かつ天晴なる言葉は、推古天皇が隋の煬帝に贈りたまえる国書の一節である。聖徳太子の作とも伝えられているこの国書には、大帝国・隋に対する我が国の独立自尊の志が燃え上がっている。中華思想に凝り固まった支那は、自らを中国と称し、己のみが文明国であり、他の国々を野蛮なる後進国と侮り、朝貢と冊封の世界秩序を構築して来た。東夷・西戎・南蛮・北狄の言葉が示す通りだ。このような時代の中で、東夷と侮られていた我が国は、堂々と支那に対等なる外交を宣言したのだ。その結果、幾度かの不幸な一時はあったにせよ、我が国と支那は友好的な関係を保ち得て来た。
しかし、現在の我が国と中共の関係はどうか。昭和四十七年九月二十九日、「日本国政府中華人民共和国政府の共同声明」が田中角栄内閣により北京において発表された。また、昭和五十三年八月十二日には「日本国と中華人民共和国との平和友好条約」が、福田赳夫内閣により北京において署名された。今日までの年月を振り返り、我が国と中共との関係が正常であったと言えるだろうか。友好的な関係だったとは、決して言えまい。平成四年十月二十三日、日中国交正常化に二十年の記念として天皇陛下が中共へ行幸遊ばされた。我々は民間在野の有志として、この宮沢喜一内閣による悪謀を阻止するため為、闘った。だが、我々の力が及ばず、中共行幸は断行されてしまった。誠に痛恨の極みである。日中友好の総仕上げと喧伝された中共行幸だったが、その後の日中関係はどうだ。靖国神社、歴史教科書、尖閣諸島、北朝鮮亡命者を巡る我が国総領事館への侵入など、中共による主権侵害や内政干渉が繰り返されている。さらに中共は、我が国からODAや円借款など多くの経済援助を受けながら、軍備を増強している。軍事覇権国家・中共は、我が国の独立と安全にとって、重大な脅威である。その中共に対して、売国的政策を繰り返す我が国政府および外務省は、まさしく亡国の徒である。
支那革命を支援したる頭山満先生の道統を受け継ぐ我々は、支那にて対して憎悪も敵愾心もなく、真の友好を望む者である。だが、共産主義国家である中共との友好は断じて拒否する。 何故ならば、共産主義国家との平和や友好は夢幻であり、断じて存在しないからだ。真の日中友好とは、中国共産党による恐怖政治から支那人民が解放され、新しい国家が誕生した後にのみ可能なのだ。
九月二十九日は日中国交正常化を祝う日ではない。中共との国交断絶を願い、闘いを誓う日だ。平成十四年九月二十九日、我々は大亜細亜主義の理念の下、「反・中国共産党」「反・中華人民共和国」を旗印に、中共との国交断絶を勝ち取る為、多くの同志とともに第一回「反中共デー」闘争を実行した。我々は正義の名において、勝利を目指して起ち上がり、力のかぎり限り闘うことを宣言する。
平成十五年九月二十九日
9.29反中共デー
※この宣言は、第一回決起の翌年、平成十五年の「反中共デー」において採択された反中共デーの趣意です
デモ隊のしんがりを党員が受け持ちデモの安全を図る
先導車両が入れないコースでは党員がコーラーを務めた
最後のシュプレヒコール
聖寿萬歳
解散後、有志が車両による抗議行動を行った
「不手際により大使館前の映像がありません」
中華人民共和国大使館商務部前では党員が激烈なる抗議行動を敢行するも当局によって阻まれた。
外務省前にて車両から抗議(音声は別の車両から出ています)
日中友好会館では有志一名が中国人からの執拗で悪質な挑発行為に乗ってしまい、靴がガラス扉に当たり割れてしまったために逮捕を余儀なくされてしまった。
翌30日には内閣府において反中共デーで採択された決議文が手交された。
支那中国は紛れもない敵国と認識し早急に国交を断絶すべきである